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2017年12月25日
ゆく年くる年にライダー人生を想う。
1979年当時の小生は、2輪メーカー「ホンダ」に身を置くサラリーマンだった。オートバイ販売店を巡りモーターサイクルを卸す仕事である。
その頃から、メーカー主体のライダースクラブが次々と創られて、ホンダでは「H.A.R.T」、ヤマハは「YESS」、カワサキは「KAZE」だった。
それぞれのモーターサイクルメーカーが、自社ブランドを愛用するライダーへの楽しみの提供と、ユーザーの囲い込みを目的としていた。
【HONDA・CR125Rモトクロッサーを駆る小生】
小生はオートバイが大好きでホンダへ入社。それに本田宗一郎社長へ憧れていた。今に至る当店のライダークラブ「東東京チャプター」も、小生の歴史的には、1970年代から2輪販売店で創って来た流れの一環となるもの。
【東東京チャプター・新春ツーリングから】
ライダーのモーターサイクルとの出会いは十人十色だ。昭和生まれで現在もライダーの方なら、高校生になると多くが自動二輪免許を取り、親からバイクを買ってもらった時代。そのバイクは50㏄から400㏄といろいろだった。
ハシカとは、誰もが一度はかかる病気、当時の会社の先輩が教えてくれた「バイクはハシカ需要だからな」…あとで、その言葉の意味が当時をよく現していたと感心したものである。
【東東京チャプターの走り屋さん(*^^)v】
亀戸のハーレー仲間に同じ質問をよくする。「あなたが生まれて初めて運転したバイクは?」…60歳以上の人に多いのはホンダ・カブがダントツだ。それも隠れて無免許で乗った(通行の無いところで練習走行)。60歳より下になると車種が、RD50、MBX50、マメタン50とガラリと変わる。
【ハーレーツアラーモデル】
ライダーにモーターサイクル名を聞くと、おおよそその人の「オートバイ乗りレベル」を想像できる。オフロードバイクの経験者は、コーナーリングや、峠道などワイディングの巧い人が多い。
ハーレーライダーにも、それまでのオートバイ経験が甦り、乗らなかった期間を早く「運転勘」を取り戻していく。それはコーナーリングスピードや、コーナーのライン取りとフォームから判るものだ。
オートバイはスポーツ。乗らないと勘は鈍ってくる。亀戸のハーレー仲間に70歳代は珍しくない。最年長の下澤さんは1月3日で90歳、ワイディングも中々だ。
【下澤さんは90歳ライダー】
年寄りのハシカライダーなどと云われないように、2018年は走る計画を立てよう。
【2018年に向かって(^^♪】