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2020年6月28日
バイクとの出会い そして歩んだ道!
原付…というこの二文字は、小生のオートバイ人生の出会いであり原点である。
生まれ故郷の九州・福岡県で16歳になり、生まれて初めて取ったのが「原付免許」だった。
読売新聞店のアルバイトで、それまでは自転車を駆って配達していた。
店主から「免許を取ったらカブで配達していいよ」とのそのすすめもあって取ったものだ。
初めての「ホンダ・カブ50」の操作を簡単に習い、右足でキックしてエンジン始動。そのエンジンの振動に「どうなる~」みたいな不安を覚えた。
左脚のカカトでギヤをローへ入れると、ググ~っと前進して行く。それまで自転車しか知らない16歳の驚愕と体験。ペダルを漕がないで動き出す。
その凄さというか、エンジンとの出会いに驚きながら、どこか今までに無い感動と共に、新しい発見をつかんで走り出した「原付免許」
…あの初体験のことを忘れられない。
その後、自動二輪免許も直ぐに取得。当時でも実技試験がありCD125で、右左折は手信号で検定試験だった。
故郷の川崎町に、「ホンダ販売店・岩丸商会」があって、学校から帰るとそこで入り浸り、見よう見まねでパンク修理やエンジンオイル交換作業をやらせて貰い、4人の整備士たちから可愛がられる。
その頃から、将来はバイクを造る会社へ入りたいと思い始めていた。
就職活動では川崎重工業と三菱電機を受けた。
そして、第一志望のホンダ技研工業に受かったが、ホンダに落ちる気がしなかったほど面接官とは意気投合した。
三菱にも受かり、川崎は落ちた。
ベンリイCS90は「原付二種」で、ナンバーの色は桃色。その当時、兵庫県伊丹市の実家と、三重県鈴鹿市のホンダ独身寮を連休になると片道150kmをツーリングがてら駆けていた。
この原付二種は、16年連続で需要は伸びている。「原付1種/50㏄」と違い、二人乗りができ交差点の二段階右折もない。
ラッタッターのロードパルや、パッソルで一世風靡した「原付」は、その反対に1987年以降から33年間連続して減少している。
ホンダカブ50との出会いから、初めての大型バイク「ホンダCB450K-1」を、従業員販売で買った。最初に乗った時、その怒濤の加速にハンドルから手が離れてしまいそうだった。
それまでのCS90に慣れたスロットル感覚で、CB450k-1を扱っていた未体験ゾーンだったのだ。当時のカタログで0~400m加速は13.2秒を記されている。ド速い!というのをこのCB450k-1で初体験した。
1958年に生まれたホンダカブ号は、今年で62歳になった(^^♪…この62年間は日本では、飛躍的に経済成長と共にバイクも大型化した。
小生が、小排気量の50㏄から1000㏄のバイクへ安全に乗り続けてこれたのも、その段階を経て来たからだろうと(経済的事情が多く占めるが…)還りみることができる。
ハーレーダビッドソン・ローライダーがハーレーとの出会い。
1980年当時は販売会社へ転職して、大宮市(現在はさいたま市大宮区)に居た。
会社に在ったFXS・ローライダーの試乗車で、伊豆スカイラインまで駆けた。
ホンダモーターサイクルしか体験がなかった小生には、その時のハーレーに「走らない、曲がらない、停まらない」の印象だったことを覚えている。
ハーレーは、それらの未完成な部分はメーカーで完成するのではなく、アメ車特有の思想がある。「ユーザーによって走りながらカスタマイズ」したり、オーナーの使い勝手に合わせて、作りこんでいくという考え方に、ずっと後で気づいた。
この続きを、また何処かで書き綴ってみたいと思います。