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2019年6月21日

ホンダ・CBと共にバイク人生は始まった(^^♪

1969年の春、ホンダ技研へ入社した小生は、その前からホンダ・ベンリイCS90に乗るバイク青年だった(^^♪

その年の秋、東京・晴海ふ頭で開催された「東京モーターショー」へ、生まれて初めてホンダ鈴鹿製作所が用意した大型バスで向かった。

歓びと興奮で、鈴鹿から東京への夜行バスであったが、ほとんど眠れないまま会場入りしたことを記憶している。

小生のオートバイ人生で「CB」は、ホンダの大型モーターサイクルを意味する。それは憧れであり、いつかはきっと、そのCBのスロットルを自ら握って駆け巡ることを夢に見ていた。

【ホンダ青山本社でCBの時代展始まる】

【懐かしいホンダ本社青山ビル】

青春時代を共に生きたCB750FやCB450のドリームシリーズは、まさに青春のページをめくるような甘く切ない想い出もよみがえる。
CB750K0は、1969年当時で30万円を超えていて、年収に匹敵するその本体価格は、まさに夢のまた夢だった。

【歴代のCB達】

ナナハン!この呼び方は、ホンダCB750K0の開発から社内呼称と使われていたようだ。750ではなくナナハンという呼び方はそれ以降、国を超えて世界的にも使われている。

【1969年の初号機 CB750K0】

【CB450 K0型】

学生時代、北九州市の小倉の街角でこのCB450を初めて見た。それまで読売新聞の配達で使うホンダカブ50が、身近にあり、こんなに大きなバイクはどう乗るんだろうか?なんて思いながらジッと見つめていた。

それから3年。ホンダへ入社後、人生初のCBは従業員分割販売でこの「CB450K1」である。初のCBオーナーになった(*^^)v。

【F-1レッドブル・ホンダ】

レースと共に世界進出を果たしてきたホンダ。そのチャレンジスピリットには、小生の生き方にも大きな影響を受けた。1980年代に始まったF-1参戦には、アイルトン・セナを想い出す。
途中F-1からの撤退。そして、今回のF-1再挑戦には、本田宗一郎社長の「やらまいか」遠州魂を思い起こす。

「CBと駆け抜けた時代展」ホンダ青山ビルで開催中です。

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