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2020年3月7日
故郷は遠きにありて福岡県・筑豊へ!
福岡県・田川は小生の郷里である。
田川は、60年前(1950年代後半)までは炭鉱の町として栄えた。エネルギー革命によって石炭から石油にとって代わり、炭鉱の名残りも、年を追うごとに消えていく。
現代社会は「電気」によって産業の源を成している。電気を造るのは石炭から、石油(火力発電)や原子力発電となっている。
クルマやオートバイも、石油から作られるガソリンを燃やす内燃機関から、すでに電気モーターへ変わろうとしている。
石炭から石油への産業革命は、故郷の景色も大きく変えた。
故郷創生の基金をかけて大任町の道の駅・もみじ館には「一億円のトイレ」がある。東京からちょっと遠いがツーリングで立ち寄ってみて欲しい。
【陶板絵画】
もみじ館に入ると左右に広がる陶板で制作した「さくら」と「もみじ」が壁面いっぱいに展示されている。
その当時、我が家は炭住の中で八百屋を営んでいた。小生が小学生から中学までの間に、同級生の多くの親達は、炭鉱の閉山により転職し本州の各県へ越していった。「変化に対応して活きる」…炭鉱の退廃はこのことを少年時代から身をもって見てきた。あと10年もすると時代は大きく変わっているだろう。
♪月が出た出た~月が出た~よいよい♪…この炭坑節を唄ったのは三池炭鉱のあった田川市伊田である。
田川に暮らしたころ、自転車小僧だった小生も、バイク(ホンダスーパーカブ)に進化した。
ペダルを漕がないでもエンジンのチカラで前進する。その基本的な機能に驚き感動したことを今でも忘れられない。それが生涯を決める動機となり、オートバイメーカー本田技研工業株式会社へ入社。
それ以来、仕事も趣味も同じ、モーターサイクル人生が始まった。
「自分の好きなことをやりなさい」…今は亡き父の言葉の意味が、ちょっと判る歳になったような気がする。